29歳の若さでこの世を去った長身強打のチャンピオン
ディエゴ・コラレスは、身長179センチにも関わらず、1999年に初タイトルを奪取した当時はスーパーフェザー級(約59キロ)でした。「細身で長身なのに、接近戦の打ち合いが好きなボクサーなんだな」と思ったのが、コラレスの試合を初めて観たときの率直な感想です。
とにかく接近戦が好きなのですが、決して器用なボクサーではないので、パンチをまともに食らってしまうことも多く、試合後の顔はアザだらけ。どちらが勝者かわからないような試合も多いのですが、「絶対にKOしてやる」という意気込みが全身にみなぎっていて、思わず応援したくなるボクサーがコラレスなんです。
不器用なところは「激闘王」と呼ばれたアルツロ・ガッティや漫画「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈に似ていると思います。少し不器用だけど、ハートが熱くなる試合を重ねながら、1999年10月、全勝のIBFスーパーフェザー級チャンピオン、ロベルト・ガルシアとの全勝対決に7ラウンドTKOで勝利し、無敗のまま、念願の世界タイトルを獲得。
同タイトルを3回防衛後、返上し、同階級最強の呼び声が高いフロイド・メイウェザーが持つWBC世界スーパーフェザー級タイトルに挑戦しますが、結果は10ラウンドTKOの完敗で初黒星を喫してしまいます。「プリティボーイ」フロイド・メイウェザーの前に完敗でした。
しかし、コラレスの人気が不動のものになったのはここからです。
2003年に復帰後、10月にテクニシャンのホエル・カサマヨルと対戦。ダウン応酬の末、コラレスの口からの出血が激しいため、6ラウンドTKOで敗れてしまいますが、翌年のリターンマッチでカサマヨルにリベンジ。
その後、階級をライト級へ上げ、「ブラジリアンボンバー」と呼ばれる、強打の全勝チャンピオン、アセリノ・フレイタスに挑戦します。一発一発力を込めて打つフレイタスに対して、回転の速い連打で応戦し、合計3度のダウンを奪い、ほぼ完璧な内容で10ラウンドTKO勝利。注目の全勝チャンピオン、フレイタスに初黒星を付けると同時に、WBO世界ライト級タイトルを獲得し、見事2階級制覇に成功します。
さらに、2005年5月に行われたWBC世界ライト級チャンピオン、ホセ・ルイス・カスティージョとの統一戦では、2度のダウンを奪われながらも10ラウンドに脅威の連打でカスティージョをストップし、奇跡の大逆転勝利!この試合の逆転劇は、ボクシング史でもトップ10に入る大逆転だと思います。それほど「コラレスがグロッキーな状態」からの逆転勝ちだったのです。
ただ、この頃からボクシング専門家の間ではコラレスの打たれ弱さを指摘する声が増え始めました。激闘に激闘を重ねた身体は、この時すでに限界に達していたのかもしれません。
この後は、ダウンを奪われ、KOで敗れ去る試合が多くなり、2006年10月に行われたホエール・カサマヨルとの3度目の対戦では、体重苦により減量に失敗し、保持していたWBC世界ライト級タイトルを剥奪され、ボクサーの最低限の仕事すらできない状況に陥ってしまいます。
その後、スーパーライト級を飛び越えて2階級上のウェルター級へ一気に階級を上げますが、ジョシュア・クロッティに大差の判定負け。試合後すぐに再起することを表明しますが、残念ながら、クロッティとの試合がコラレスの勇姿を観た最後の試合になりました。
再起表明から1ヵ月後の2007年5月7日、ラスベガスをバイクで走行中、自動車と接触し、交通事故死。コラレスの若すぎる死に、管理人は言葉が出ませんでした。不器用なボクサーの素直で、ファンのハートを揺さぶる試合はこの日を最後にもう観ることができなくなってしまったのです。
「最期まで不器用な生き方」しかできなかったディエゴ・コラレス。
試合後に腫れ上がった顔で、子どものようにはしゃぐコラレスの姿は世界中のボクシングファンにボクシングの素晴らしさを教えてくれました。ボクシング史に残る数多くの名勝負をありがとう。29歳の若さでこの世を去ったチャンピオンのご冥福をお祈りいたします。
ディエゴ・コラレスのプロフィール
本名 | ディエゴ・コラレス |
誕生日 | 1977年08月25日 |
ニックネーム | チコ |
生涯戦績 | 45戦40勝33KO5敗 |
獲得タイトル |
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