ヘビー級チャンピオンのままリングを去った英国の誇り
レノックス・ルイスは、ソウルオリンピックで金メダル獲得後、プロに転向し、WBA、WBC、IBFの世界ヘビー級タイトルを統一した、パワーとテクニックを兼ね備えた伝説のチャンピオンです。
管理人は、1990年後半から2004年に彼が引退するまでの約10年間、世界で一番強かったボクサーは、レノックス・ルイスだと思っています。リーチを活かした左の強烈なリードジャブで相手を懐に寄せ付けず、一撃で相手をマットに沈める電光石火の右ストレートで試合を終わらせるボクシングスタイルは、まさに「ボクシングのお手本」です。
身長196センチ、リーチ208センチの恵まれた体格を上手く活かした戦い方で、圧倒的な試合内容で勝利することが多いチャンピオンでした。
ルイスに弱点があるとすれば、一部のボクシング評論家から「試合ごとの波が激しい」と酷評されるように、モチベーションの低下による油断です。ただ、一度負けた相手は、必ずリベンジしているので、レノックス・ルイスに「勝ち逃げ」したボクサーは一人もいないんです。
ルイスは1992年、WBC世界ヘビー級挑戦者決定戦に勝利し、3団体統一世界ヘビー級チャンピオン、リディック・ボウが持つWBCタイトルへの挑戦権を獲得しましたが、リディック・ボウが指名試合の対戦を拒否したため、ルイスが正チャンピオンに認定されました。ソウルオリンピックでルイスはボウに大勝しているためか、ルイスがプロ転向後、ボウはルイスとの対戦を避け続けていたようです。
1994年、オリバー・マッコールにTKOで破れ、プロ初黒星を喫すると同時に、WBC世界ヘビー級タイトルを失ってしまいますが、1997年に再戦し、5ラウンドTKOで見事にリベンジを果たし、チャンピオンに返り咲きます。
1999年3月には、WBA、IBF世界ヘビー級チャンピオンのイベンダー・ホリフィールドと3団体統一世界ヘビー級タイトルマッチを行い、激戦の末、引き分けますが、11月の再戦では文句なしの判定勝ちをおさめ、3団体統一世界ヘビー級チャンピオンの称号を獲得します(後にWBAは返上)。
2001年4月、ハシム・ラクマンを挑戦者に迎え、防衛戦を行いますが、まさかの5ラウンドKO負けで、プロ2敗目を喫し、チャンピオンから陥落。しかし、11月の再戦では、見事4ラウンドKOでタイトルを取り戻し、再びチャンピオンに返り咲きます。
そして、2002年、世界中のボクシングファンが待ちに待った元3団体統一世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンとの対決がついに実現します。
黄金時代を迎えたイギリス出身のレノックス・ルイスと絶大な人気を誇るアメリカ出身のマイク・タイソンの英米対決は、懐に飛び込もうとするタイソンをルイスが左ジャブで突き放し、右の強打を叩き込む一方的な展開で、ルイスの8ラウンドKO勝ち。「タイソンのパンチが当たれば、ルイスを倒せる」と少し期待していたのですが、全盛期のスピードを失ったタイソンがルイスの懐に入ることはできませんでした。この試合は、ルイスにとって完璧な試合展開だったと思います。全くタイソンを寄せ付けることなく、一方的な試合内容で防衛に成功したのです。
しかし、2003年のビタリ・クリチコを迎えた防衛戦では苦戦の末、クリチコの負傷により、辛くも防衛に成功。当時のビタリ・クリチコは、打倒レノックス・ルイスの一番手に挙げられるほど、ボクシング評論家やファンの評価が高く、2メートルを超える長身で体格的なハンデも全くなかったので、試合前、管理人は「ルイスが負ける」と予想していましたが、苦戦しながらもタイトルを防衛するところはさすがです。
負傷決着だったので、クリチコとの再戦が期待されましたが、2004年、ルイスはWBC世界ヘビー級タイトルを保持したまま現役引退を発表し、ボクシンググローブを置きました。
マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、ビタリ・クリチコ、名立たるベビー級の猛者たちをすべて打ち倒したレノックス・ルイス。ヘビー級であれほど素早く、力強いジャブを連打できるボクサーはモハメド・アリとレノックス・ルイスだけではないでしょうか?
レノックス・ルイスのプロフィール
本名 | レノックス・ルイス |
誕生日 | 1965年09月02日 |
ニックネーム | 英国の誇り |
生涯戦績 | 44戦41勝32KO2敗1分 |
獲得タイトル |
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