破竹の連勝でボクシング界の頂点へ登りつめた「ゴールデンボーイ」
1992年、バルセロナオリンピックのボクシングライト級で金メダルを獲得した一人のアマチュアボクサーがいました。まだあどけなさが残る青年の名前はオスカー・デラホーヤ。
メキシコ系アメリカ人のデラホーヤは、バルセロナオリンピックに出場したボクサーで、ただひとり金メダルを獲得し、国民を熱狂の渦に巻き込んだのです。誰が最初に名付けたのでしょうか?ボクシング大国アメリカの威信を守ったデラホーヤは、人々から賞賛と親しみを込めて「ゴールデンボーイ」と呼ばれるようになったのです。
1992年11月、アマチュアで238戦223勝5敗の驚異的なレコードを引っさげ、プロのリングに上がったデラホーヤは、1ラウンドKOで見事なデビューを飾ります。そして、ここから始まったのです。「ゴールデンボーイ伝説」が…
1994年3月、プロ12戦目で世界タイトル初挑戦。WBO世界スーパーフェザー級チャンピオン、ジミー・ブレダルに10ラウンドTKO勝ちを収め、プロ転向後、初の世界タイトルを獲得します。1994年7月には、ライト級へ階級を上げ、WBO世界ライト級タイトルに挑戦。ホルヘ・パエスに2ラウンドKO勝ちし、わずか4ヶ月の間に2階級制覇を達成します。人気、実力の両方を持ち合わせていないと実現できない驚異的なスピード記録ですね。
そして、1996年6月、デラホーヤのボクシング人生の転機となるWBC世界スーパーライト級タイトルに挑戦。チャンピオンは当時、パウンド・フォー・パウンドの呼び声が最も高かったメキシコの英雄、フリオ・セサール・チャベスです。
試合前のチャベスの戦績はなんと99戦97勝1敗1分。99戦って尋常じゃないですね。チャベスにとって、デラホーヤ戦はボクシング人生の節目となる記念すべき100戦目。試合前の下馬評は、メキシコ系アメリカ人のヒヨッコボクサー、デラホーヤが百戦錬磨のメキシコの英雄、チャベスに勝てるわけがないとの予想が圧倒的に多かったのですが、結果はデラホーヤの良さだけが目立つ一方的な展開でチャベスに連打を浴びせ、出血による4ラウンドTKO勝ち。見事に3階級制覇を達成します。
ボクシングファンなら誰もが知っている「ピープルズチャンピオン」、チャベスに快勝したことで、デラホーヤの株(商品価値)は「跳ね馬」のように急上昇します。1997年4月には、抜群のディフェンス技術から「アンタッチャブル」のニックネームを誇る4階級制覇チャンピオン、パーネル・ウィテカーが持つWBC世界ウェルター級タイトルに挑戦し、12ラウンド判定勝ち。
4階級制覇を達成すると同時に、ボクシング界を代表するスーパースターとして確固たる地位を築き、1試合で数億円のファイトマネーを稼ぐボクサーの仲間入りを果たします。1試合で数億円とは、すごいファイトマネーですね。くぅー!夢があります。
1998年9月には、前回4ラウンドTKOで下したメキシコの英雄、フリオ・セサール・チャベスと再戦し、9ラウンドTKOで再び勝利。この頃のデラホーヤはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、ウェルター級はデラホーヤが一番力を発揮できる階級だったのでしょう(管理人はデラホーヤのベストウェイトはウェルター級だと思っています)。
1999年2月には、「バズーカー」のニックネームを持つガーナ出身の強豪、アイク・クォーティと倒し倒されのボクシング史に残る名勝負を演じます。結果は12ラウンドに奪ったダウンのポイントが決め手となり、デラホーヤの判定勝ち。
そして、世界中のボクシングファンが待ち望んだ世紀の一戦が決定します。対戦相手はIBF世界ウェルター級チャンピオンのフェリックス・トリニダード。全勝チャンピオン同士の統一戦は「Fight of the Millennium(1000年に1度の決戦)」と銘打たれ、世界中のボクシングファンが注目する大一番となりました。