「悪魔王子」と呼ばれたボクシング界の革命児
1990年代後半、ボクシング界の象徴、マイク・タイソンの破滅により、ボクシングの人気は低迷期へ差し掛かると思われました。そのピンチを救い、ボクシングファンに歓喜と興奮を与えたのが、中量級のスーパースター、「ゴールデンボーイ」こと、オスカー・デラホーヤと、軽量級の「プリンス」こと「悪魔王子」、ナジーム・ハメドです。
オリンピックの金メダリスト、デラホーヤが「優等生ボクサー」なら、ハメドは「悪童ボクサー」。基本から最もかけ離れた異端のボクサーです。ハメドは両手をブラリと下げたまま、右へ左へスイッチしながら、ダンスを踊るように相手との距離を測り、チャンスと見るや否や、右左関係なく、「今一番強烈なパンチ」を相手の急所めがけて放つのです。
ガードはしない。ジャブは打たない。おまけに、入場時は前転してリングインする。ボクシングの基本から考えれば、「ありえないボクシング」で、管理人が初めてハメドのボクシングを観たときはかなりの違和感を覚えました。おそらく、多くのボクシングファンが同じ違和感を感じたはずです。
その原因は、ハメドが「まともなトレーナーなら、絶対に教えないボクシング」をプロのリング上で実践し、対戦相手を次々とKOで打ち倒したからだと思います。アマチュア時代から長年ハメドを指導したトレーナーのブレンダン・イングルは、ハメドの長所だけを伸ばすことに専念してきたのではないでしょうか?(しばらくしてハメドとイングルはケンカ別れしてしまいますが…)
ハメドの魅力は何と言ってもKO率8割を超えるパンチ力です。また、身体の柔らかさとパンチの当て感は人並み外れたものがあります。身体の柔らかさを活かしたスウェーバックで相手のパンチをかわし、予想できない角度から強烈なパンチを的確に急所に打ち込みKOする。
フェザー級で8割を超えるKO率を誇るボクサーは本当に珍しく、後にハメドを指導した、世界的な名トレーナー、エマニュエル・スチュワートに「もしレノックス・ルイスとハメドが同じ階級ならハメドのパンチ力が上だ」と言わしめるほど、破壊力のあるパンチを持っていたようです。
1995年にWBO世界フェザー級タイトルを獲得後はますますハメドの強打とトリッキーなボクシングに注目が集まり、アメリカへ進出。ケビン・ケリー、ウエイン・マッカラー、セサール・ソト、ブヤニ・ブング、オーギー・サンチェスなど、名立たる強豪を打ち倒し、15度の防衛に成功します。
そして、迎えたプロ36戦目。最強の挑戦者がハメドの前に立ちはだかります。「童顔の暗殺者」、マルコ・アントニオ・バレラこそ、ハメドスタイルが通用しなかった、たった一人のボクサーです。
バレラは、ハメドのトリッキーなボクシングに対して、カウンター狙いの出入りの激しいボクシングで的を絞らせません。「あれ?ハメドが空回っているな」と思っているうちに、あれよ、あれよとラウンドが進み、結果はバレラの判定勝ち。ハメドの完敗で、デビューから9年目にしてプロ初黒星を喫します。
バレラとの再戦が期待され、ハメドも復帰の意欲を示していたのですが、2001年9月のアメリカ同時多発テロ発生で、アラブ系イギリス人、ハメドのボクシング人生は急速に終焉へ向かいます。管理人はアメリカ同時多発テロ発生時、アメリカで生活していましたが、アラブ系の人たちに対する風当たりは相当強いものがありました。もし世界が平和なら、もっとハメドの試合を観ることができたかもしれません。
その型破りなボクシングスタイルで賛否両論を巻き起こしたハメド。今なお世界中のボクシングファンが「悲運のチャンピオン」の復帰を願っています。型破りですが、魅力的なボクサーこそ、「悪魔王子」、ナジーム・ハメドなのです。
ナジーム・ハメドのプロフィール
本名 | ナジーム・ハメド |
誕生日 | 1974年02月12日 |
ニックネーム | プリンス、悪魔王子 |
生涯戦績 | 37戦36勝31KO1敗 |
獲得タイトル |
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